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最高裁判所第三小法廷 平成2年(あ)335号 判決

主文

原判決を破棄し、第一審判決中被告人に関する部分を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護士山内容及び同高山征治郎の上告趣意のうち、憲法三一条、三八条違反をいう点は、記録を調べても、被告人に対する捜査官の取調べに所論のいうような違法があったとは認められず、また、原判決が被告人の自白のみで被告人を有罪としたものでないことは判文上明白であるから、所論は前提を欠き、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、本件公訴事実について、被告人に共謀による傷害罪の成立を認め、これが過剰防衛に当たるとした第一審判決を維持した原判決の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

一  本件公訴事実の要旨及び本件の経過

1  本件公訴事実の要旨は、被告人は、A及びBと共謀の上、昭和六三年一〇月二三日午前一時四五分ころ、東京都文京区大塚四丁目三九番一九号文京印刷会館前路上及び同区大塚三丁目二〇番五号アネックス茗荷谷ビル一階駐車場(以下「本件駐車場」という。)において、G(当時四五歳)に対し、同人の背部等を足蹴にし、その顔面等を手拳で殴打してその場に転倒させるなどの暴行を加え、よって、同人に入通院加療約七か月半を要する外傷性小脳内血腫、頭蓋骨骨折等の傷害を負わせた、というものである。

2  第一審判決は、公訴事実と同旨の事実を認定し、被告人らの本件行為について、その全体を一連の行為として傷害罪が成立するものとし、これが過剰防衛に当たると認めて、被告人に対し懲役一〇月、二年間執行猶予の判決を言い渡し、原判決も、第一審判決の認定判断を是認し、被告人の控訴を棄却した。

二  原判決の認定事実と判断

1  原判決は、本件の事実関係について、次のように認定している。

被告人は、昭和六三年一〇月二二日の夜、中学校時代の同級生であるA、B、D、及びEとともに、近く海外留学するEの友人Fを送別するために集まり、アネックス茗荷谷ビル二階のレストラン「デニーズ」で食事をし、翌二三日午前一時三〇分ころ、同ビルとは不忍通りを隔てた反対側にある文京印刷会館前の歩道上で雑談をするなどしていたところ、酩酊して通りかかったGが、付近に駐車してあったAの乗用車のテレビ用アンテナに上着を引っかけ、これを無理に引っ張ってアンテナを曲げておきながら、何ら謝罪等をしないまま通り過ぎようとした。不快に思ったAは、Gに対し、「ちょっと待て。」などと声をかけた。Gは、これを無視して文京印刷会館に入り、間もなく同会館から出て来たが、被告人らが雑談をしているのを見て、険しい表情で被告人らに近づき、「おれにガンをつけたのはだれだ。」などと強い口調で言った上、「おれだ。」と答えたAに対し、いきなりつかみかかろうとし、Aの前にいたEの長い髪をつかみ、付近を引き回すなどの乱暴を始めた。被告人、A、B及びD(以下「被告人ら四名」という。)は、これを制止し、Eの髪からGの手を放させようとして、こもごもGの腕、手等をつかんだり、その顔面や身体を殴る蹴るなどし、被告人も、Gの脇腹や肩付近を二度ほど足蹴にした。しかし、Gは、Eの髪を放そうとせず、Aの胃の辺りを蹴ったり、ワイシャツの胸元を破いたりした上、Eの髪をつかんだまま、不忍通り(車道幅員約一六・五メートル)を横断して、向かい側にある本件駐車場入口の内側付近までEを引っ張って行った。被告人ら四名は、その後を追いかけて行き、Gの手をEの髪から放させようとしてGを殴る蹴るなどし、被告人においてもGの背中を一回足蹴にし、Gもこれに応戦した。その後、ようやく、Gは、Eの髪から手を放したものの、近くにいた被告人ら四名に向かって、「馬鹿野郎」などと悪態をつき、なおも応戦する気勢を示しながら、後ずさりするようにして本件駐車場の奥の方に移動し、被告人ら四名もほぼ一団となって、Gを本件駐車場奥に追い詰める格好で追って行った。そして、その間、本件駐車場中央付近で、Bが、応戦の態度を崩さないGに手拳で殴りかかり、顔をかすった程度で終わったため、再度殴りかかろうとしたが、Dがこれを制止し、本件駐車場の奥で、今度はAがGに殴りかかろうとしたため、再びDが二人の間に割って入って制止した。しかし、その直後にAがGの顔面を手拳で殴打し、そのためGは転倒してコンクリート床に頭部を打ちつけ、前記の傷害を負うに至った。なお、GがEの髪から手を放した本件駐車場入口の内側付近からAの殴打により転倒した地点までの距離は、二〇メートル足らずであり、この間の移動に要した時間も短時間であり、被告人ら四名のうちBやDは、GがいつEの髪から手を放したか正確には認識していなかった。

2  原判決は、右認定事実に基づき、Gが文京印刷会館前でEの髪をつかんだ時点から、Aが本件駐車場奥でGを最終的に殴打するまでの間における被告人ら四名の行為は、本件駐車場中央付近でBを制止した後のDの関係を除き、相互の意思連絡のもとに行われた一連一体のものとして、その全体について共同正犯が成立し、これが過剰防衛に当たると判断した。

三  原判決の認定判断の当否について

1  原判決の認定した前記事実関係のうち、本件駐車場の奥の方に移動した際、被告人ら四名が「Gを本件駐車場奥に追い詰める格好で追って行った」とする点については、後述のように、これを是認することはできない。

2  本件のように、相手方の侵害に対し、複数人が共同して防衛行為としての暴行に及び、相手方からの侵害が終了した後に、なおも一部の者が暴行を続けた場合において、後の暴行を加えていない者について正当防衛の成否を検討するに当たっては、侵害現在時と侵害終了後とに分けて考察するのが相当であり、侵害現在時における暴行が正当防衛と認められる場合には、侵害終了後の暴行については、侵害現在時における防衛行為としての暴行の共同意思から離脱したかどうかではなく、新たに共謀が成立したかどうかを検討すべきであって、共謀の成立が認められるときに初めて、侵害現在時及び侵害終了後の一連の行為を全体として考察し、防衛行為としての相当性を検討すべきである。

3  右のような観点から、被告人らの本件行為を、GがEの髪を放すに至るまでの行為(以下、これを「反撃行為」という。)と、その後の行為(以下、これを「追撃行為」という。)とに分けて考察すれば、以下のとおりである。

(一)  まず、被告人らの反撃行為についてみるに、GのEに対する行為は、女性の長い髪をつかんで幹線道路である不忍通りを横断するなどして、少なくとも二〇メートル以上も引き回すという、常軌を逸した、かつ、危険性の高いものであって、これが急迫不正の侵害に当たることは明らかであるが、これに対する被告人ら四名の反撃行為は、素手で殴打し又は足で蹴るというものであり、また、記録によれば、被告人ら四名は、終始、Gの周りを取り囲むようにしていたものではなく、A及びBがほぼGとともに移動しているのに対して、被告人は、一歩遅れ、Dについては、更に遅れて移動していることが認められ、その間、被告人は、GをEから離そうとしてGを数回蹴っているが、それは六分の力であったというのであり、これを否定すべき事情もない。その他、Gが被告人ら四名の反撃行為によって特段の傷害を負ったという形跡も認められない。以上のような諸事情からすれば、右反撃行為は、いまだ防衛手段としての相当性の範囲を超えたものということはできない。

(二)  次に、被告人らの追撃行為について検討するに、前示のとおり、A及びBはGに対して暴行を加えており、他方、Dは右両名の暴行を制止しているところ、この中にあって、被告人は、自ら暴行を加えてはいないが、他の者の暴行を制止しているわけでもない。

被告人は、検察官に対する供述調書において、「GさんがEから手を放した後、私たち四人は横並びになってGさんを本件駐車場の奥に追い詰めるように進んで行きました。このような態勢でしたから、他の三人も私と同じように、Gさんに対し、暴行を加える意思があったのだと思います。」と供述しているところ、原判決は、右供述の信用性を肯定し、この供述により、被告人ら四名がGを駐車場奥に追い詰める格好で追って行ったものと認定するとともに、追撃行為に関して被告人の共謀を認めている。しかし、記録によれば、Gを追いかける際、被告人ら四名は、ほぼ一団となっていたということができるにとどまり、横並びになっていたわけではなく、また、本件駐車場は、ビルの不忍通り側と裏通り側とのいずれにも同じ六メートル余の幅の出入口があり、不忍通りから裏通りを見通すことができ、奥が行き詰まりになっているわけではない。そうすると、被告人ら四名が近付いて来たことによって、Gが逃げ場を失った状況に追い込まれたものとは認められないのであり、「被告人ら四名は、Gを駐車場奥に追い詰める格好で追って行った」旨の原判決の事実認定は是認することができない。したがって、また、被告人の右検察官に対する供述中、自分も他の三名もGに暴行を加える意思があったとする部分も、その前提自体が右のとおり客観的な事実関係に沿わないものというべきである以上、その信用性をたやすく肯定することはできない。

そして、Gを追いかける際、被告人ら四名がほぼ一団となっていたからといって、被告人ら四名の間にGを追撃して暴行を加える意思があり、相互にその旨の意思の連絡があったものと即断することができないことは、この四人の中には、A及びBの暴行を二度にわたって制止したDも含まれていることからしても明らかである。また、A及びBは、第一審公判廷において、Gから「馬鹿野郎」と言われて腹が立った旨供述し、Gの右罵言がAらの追撃行為の直接のきっかけとなったと認められるところ、被告人がGの右罵言を聞いたものと認めるに足りる証拠はない。

被告人は、追撃行為に関し、第一審公判廷において、「謝罪を期待してGに付いて行っただけであり、暴行を加えようとの気持ちはなかった。Eの方を振り返ったりしていたので、BがGに殴りかかったのは見ていない。DがAとGの間に入ってやめろというふうに制止し、一瞬間があいて、これで終わったな、これから話し合いが始まるな、と思っていたところ、AがGの右ほおを殴り、Gが倒れた。」旨供述しているのであって、右公判供述は、本件の一連の事実経過に照らして特に不自然なところはない。

以上によれば、被告人については、追撃行為に関し、Gに暴行を加える意思を有し、A及びBとの共謀があったものと認定することはできないものというべきである。

4  以上に検討したところによれば、被告人に関しては、反撃行為については正当防衛が成立し、追撃行為については新たに暴行の共謀が成立したとは認められないのであるから、反撃行為と追撃行為とを一連一体のものとして総合評価する余地はなく、被告人に関して、これらを一連一体のものと認めて、共謀による傷害罪の成立を認め、これが過剰防衛に当たるとした第一審判決を維持した原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

そして、本件については、訴訟記録並びに原裁判所及び第一審裁判所において取り調べた証拠によって直ちに判決をすることができるものと認められるので、被告人に対し無罪の言渡しをすべきである。

よって、刑訴法四一一条三号、四一三条ただし書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

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